ー「音楽教室の演奏に著作権は及ぶか」ー
音楽教室で行われる教師ないし生徒の演奏は音楽教室が演奏を行うものとみなされ、著作者の演奏権が及ぶでしょうか。長年続いた紛争に待望の最高裁判所判決がありました。
事案の概要
原告が運営する音楽教室において、受講契約を締結した生徒に対して演奏技術等のレッスンが行われていました。
このレッスンは、音楽教室で働く教師が行っていました。
被告(一般社団法人日本音楽著作権教会〔JASRAC〕)は2017年6月7日付で、文化庁長官に対して、「音楽教室における演奏等」の新設等を内容とする使用料規定変更の届出を行っていました。これによれば、音楽著作物の年間使用料は1施設あたり受講収入算定基準額の2.5%とされていました。
※JASRACは音楽の著作者などから著作物の信託を受けて、使用者などとの間でライセンス契約等を締結する団体です。
原告の請求
原告は、音楽教室における教師および生徒の演奏は、演奏権の対象となる「公衆に直接・・・聞かせることを目的」とした演奏(著作権法22条)に当たらないと主張して、被告に対し、演奏権の不存在確認を請求しました。
第1審判決(東京地方裁判所令和2年2月28日判決)
原告の音楽教室における音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、利用される著作物の選定方法、著作物の利用方法・態様、著作物の利用方法・・・等の諸要素を考慮し、当該演奏の実現にとって枢要な行為がその管理・支配下において行われているか否かによって判断するのが相当である。
との一般論のもとで、
原告の音楽教室で演奏される課題曲の選定方法、同教室における生徒及び教師の演奏態様、音楽著作物の利用への原告の寛容の内容・程度・・・等の諸要素を考慮すると、原告の経営する音楽教室における音楽著作物の利用主体は原告であると認めるのが相当である。
として、音楽教室での演奏は教師ないし生徒のものであるかを問わず、演奏主体は音楽教室である原告である判断しました。
控訴審判決(知財高等裁判所令和3年3月18日判決)
音楽教室における演奏の主体については、単に個々の教室における演奏行為を物理的・自然的に観察するのみではなく、音楽教室事業の実態を踏まえ、その社会的、経済的側面からの観察も含めて創造的に判断されるべきであると考えられる。このような観点からすると、音楽教室における演奏の主体の判断に当たっては、演奏の対象、方法、演奏への関与の内容、程度等の諸要素を考慮し、誰が当該音楽著作物の演奏をしているかを判断するのが相当である。
との一般論を示したうえで、
教師の演奏については、原告は教師に対し、受講契約の本旨に従った演奏行為を、雇用契約又は準委任契約に基づく法的義務の履行として求め、必要な指示や監督をしながらその管理支配下において演奏させているといえるのであるから、教師がした演奏の主体は規範的観点に立てば原告であるというべきである。一方、生徒の演奏については、生徒は、専ら自らの演奏技術等の向上のために任意かつ自主的に演奏を行っており、原告は、その演奏の対象、方法について一定の準備行為や環境整備をしているとはいえても、教授を受けるための演奏行為の本質からみて、生徒がした演奏を原告がした演奏とみることは困難といわざるを得ず、生徒がした演奏の主体は、生徒であるというべきである。
として、教師の演奏については音楽教室である原告が演奏の主体とされ、生徒については生徒自身が演奏主体であると判断されました。
本判決(最高裁判所令和4年10月24日判決)
※生徒の演奏部分のみを上告受理し、教師の演奏部分は上告申立てを退けました。これにより、教師の演奏には最高裁判所で判断されるまでもなく原告の利用主体が認められました。
演奏の形態による音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当である。
との一般論を示したうえで、
原告の運営する音楽教室のレッスンにおける生徒の演奏は、教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるのであって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎない。そして生徒の演奏は教師の行為を要することなく生徒の行為のみにより成り立つものであり、上記の目的との関係では、生徒の演奏こそが重要な意味を持つのであって、教師による伴奏や各種録音物の再生が行われたとしても、これらは、生徒の演奏を補助するものにとどまる。また、教師は、課題曲を選定し、生徒に対してその演奏につき指示・指導をするが、これらは、生徒が上記の目的を達成することができるように助力するものにすぎず、生徒は、あくまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏することを強制されるものではない。なお、原告は生徒から受講料の支払を受けているが、受講料は、演奏技術等の教授を受けることの対価であり、課題曲を演奏すること自体の対価ということはできない。
これらの事情を総合考慮すると、原告が本件管理著作物の利用主体であるということはできない。
→以上のように、最高裁判所は、生徒の演奏に限っては原告の演奏主体性を認めませんでした。
解説
著作権法22条は、「著作者は、その著作物を、公衆に直接・・・聞かせることを目的として・・・演奏する権利を専有する」と規定しているため、他人の著作物を公に演奏する場合は、著作者の許諾を受ける必要があります。
音楽教室が演奏行為主体と認められる場合には著作権法22条に従い、音楽教室が著作権者から許諾を得る必要があるため、本件では演奏主体が誰かというのが最大の問題になっています。
これまでの議論
これまで、誰が演奏の主体かという問題については、物理的な主体と評価できない場合でも規範的な利用主体と評価できる場合があると考えられてきました。
たとえば、レストランが店内でフリーの演奏家に演奏をさせた場合、物理的に演奏をしているのは演奏家ですが、規範的な利用主体はレストランであり、レストランが演奏家の演奏について著作権者から許諾を得る必要があります。
規範的利用主体性〔カラオケ法理〕
規範的利用主体性の問題について、「キャッツアイ判決」(最高裁判所昭和63年3月15日判決)から認められるようになった「カラオケ法理」というものがあります。
「キャッツアイ判決」は、カラオケスナック店における客の歌唱に演奏権が及ぶかという点が争われました。
同判決は、カラオケ店における客の歌唱は店舗の管理のもと行われ、かつ、カラオケス店が営業上の利益を増大させることを意図していたことを理由として、演奏の主体はカラオケ店であるとされました〔カラオケ法理〕。
まとめ
本件についても〔カラオケ法理〕に従うとすると、管理性と利益性のという2つの要素から原告の利用主体性が認めらそうにも思えます。
しかし、本判決に〔カラオケ法理〕は用いられませんでした。
本判決が〔カラオケ法理〕を用いず、これと異なる一般論を示したことからすると、今後の利用主体性の判断にあたっては〔カラオケ法理〕によることなく、本判決のように諸般の事情を考慮して検討されるようになるかもしれません。
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