「言った・言わない」で終わってしまいそうな話でも、証拠がないと決めつけるのは早すぎます。手元に何もなくても、相手が持っている資料を裁判所の手続きで押さえる、第三者に照会をかけて取り寄せるといった方法があるためです。本コラムでは、その中心となる「証拠保全」という手続きを、要件・費用・流れまで具体的に解説したうえで、証拠保全が使えない場面で代わりに使える手段も整理します。
証拠保全とは──訴訟の前に裁判所が証拠を押さえる手続き
証拠保全は、民事訴訟法234条に定められた手続きです。条文は「あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情があると認めるとき」に、申立てにより証拠調べができると定めています。
通常、証拠調べは訴訟が始まってから行われます。しかしそれを待っていては、相手が資料を廃棄・改ざんしてしまうおそれがある——そういう場合に、訴訟を起こす前の段階で、裁判所に証拠を確保してもらうのがこの制度です。
最大の特徴は「密行性」
証拠保全がほかの手続きと決定的に違うのは、相手に事前に知らせずに実施される点です。裁判所の決定が出ると、執行官が相手方に決定書を送達し、その直後——実務では送達から1時間程度後——に裁判官と当事者が現地に入り、資料を撮影・複写します。
この短さが肝です。相手に準備の時間を与えないことで、資料を隠したり書き換えたりする余地をなくします。逆に言えば、「証拠を出してほしい」と交渉を重ねてから申し立てても、その間に整理されてしまえば意味がありません。使うと決めたら早く動く必要がある手続きです。
どんな場面で使われるか
| 分野 | 押さえる資料 | 典型例 |
|---|---|---|
| 労働 | タイムカード、勤怠システムのログ、業務日報、入退室記録、就業規則、人事記録 | 残業代請求で会社が勤怠データを出さない。解雇の経緯を記した社内文書がある |
| 建築・不動産 | 設計図書、施工記録、工事写真、施工業者の内部書類 | 欠陥住宅の原因を特定したいが、施工業者が資料を開示しない |
| 医療 | 診療記録、看護記録、検査画像 | 証拠保全が最も多く使われてきた分野 |
共通しているのは、証拠が相手方の支配下にしかないという構造です。自分の手元に何も残らない立場に置かれた人が使う手続きだと考えてください。
却下されるのはどんなときか
証拠保全は申し立てれば必ず認められるものではありません。裁判所が見るのは「保全の必要性」——つまり、いま押さえておかなければ証拠が使えなくなる具体的な事情があるかどうかです。
ここでよくある誤解が、「相手が任意に出してくれないから」では理由にならないという点です。それは単に交渉が進んでいないだけであって、証拠が失われるおそれとは別の話だからです。次のような事情を、資料をつけて具体的に示す必要があります。
- 相手方が過去に資料の存在を否定した、または説明が変遷している
- 資料の保存期間が迫っており、廃棄される可能性が高い
- データが上書きされる仕組みになっている(勤怠システムのログなど)
- 相手方が資料を書き換えたことをうかがわせるやり取りがある
申立書には、押さえたい資料を特定して書く必要もあります。「本件に関する一切の資料」といった書き方では、対象が広すぎるとして通りません。
手続きの流れと費用
- 申立て:相手方の所在地を管轄する地方裁判所などに申立書を提出します。証拠となる資料と、保全の必要性を示す疎明資料を添えます。
- 裁判官との面接:申立ての当日または数日以内に、裁判官と面接して必要性を説明します。ここで実施日時も決まります。
- 決定・送達:決定が出ると、実施当日に執行官が相手方へ送達します。
- 検証の実施:裁判官・書記官・申立人側が現地に入り、資料を確認して写真撮影・複写します。カメラマンを同行させるのが一般的です。
- 謄写:後日、裁判所で記録を閲覧・複写して内容を精査します。
裁判所に納める申立手数料は500円と郵便切手代のみで、ここは高くありません。実際にかかるのは、カメラマンの費用と謄写費用、そして弁護士費用です。資料の分量によって変わりますが、実費だけで数万円から十数万円になることがあります。
申立てから実施までは早ければ1〜2週間程度です。制度の性質上、スケジュールは詰まります。

証拠保全が向かないときの選択肢
保全の必要性を示せない場合や、相手が持っているのが「書類」ではなく「情報」である場合には、別の手段のほうが適しています。
弁護士会照会(弁護士法23条の2)
弁護士が所属弁護士会を通じて、企業や官公庁に必要な事項を照会する制度です。相手方の住所、携帯電話の契約者情報、取引履歴などを取得できることがあります。訴訟を起こす前でも使え、費用も比較的低く抑えられます。ただし照会先に回答義務はあるものの、実際には回答を拒まれることもあります。
文書提出命令・調査嘱託(訴訟提起後)
訴訟が始まってからであれば、裁判所に対して、相手方や第三者が持つ文書の提出を命じるよう求められます。密行性はありませんが、証拠保全のように「失われるおそれ」を示す必要はありません。訴訟をする覚悟が固まっているなら、こちらのほうが現実的な場面も多くあります。
第三者からの情報取得手続(判決を得た後)
すでに判決や公正証書などの債務名義がある場合は、裁判所を通じて金融機関に預貯金口座を照会したり、登記所に不動産を照会したりできます。回収のために相手の財産を探す段階で使う手続きです。
「証拠がない」と思っても諦めなくていい場合
相談を受けていて多いのが、本人が「証拠」だと思っていないものが、実は十分な証拠になっているケースです。
- やり取りのメッセージ:LINEやメールで「来月返す」「すみません、待ってください」といった返信があれば、相手が義務を認めていた証拠になります。
- 振込の記録:通帳やアプリの履歴は、いつ・いくら渡したかを示します。
- 会話の録音:自分が参加している会話を相手に無断で録音しても、著しく反社会的な手段でない限り、証拠として使えるのが実務の扱いです。
- 本人の手帳・メモ:継続的に記録されたものは、それだけで決め手にはならなくても、他の証拠を補強します。
たとえば貸したお金の返還請求では、借用書がなくても回収できる場合が少なくありません。何が証拠になるかは「借用書なしで貸したお金を回収する|証拠になるものと4つの法的手段」で詳しく解説しています。
自分で集めるときにやってはいけないこと
一方で、集め方を誤ると証拠が使えなくなるだけでなく、こちらが責任を問われます。他人のパソコンやスマートフォンに無断でアクセスする、会社の機密書類を持ち出す、第三者間の会話を隠し録りする——これらは違法行為となる可能性があり、懲戒処分や損害賠償の理由にもなります。判断に迷うものは、実行する前に確認してください。
よくある質問
証拠保全を自分だけで申し立てられますか。
制度上は可能です。ただし、保全の必要性を疎明する書面の作成、裁判官との面接、実施当日の立会いと資料の取捨選択まで、短期間で対応する必要があります。実施は一度きりで、その場で押さえられなかった資料は後から取り直せません。実務上は弁護士が関与するのが通常です。
相手が「そんな資料はない」と言ったらどうなりますか。
証拠保全に強制的な捜索の権限はないため、その場で無理やり探すことはできません。ただし、後の訴訟で相手が同じ資料を出してきた場合、「保全のときはないと言っていた」という経緯自体が相手の信用性を大きく損ないます。存在しないという回答を記録に残せること自体に意味があります。
証拠保全をすると、必ず訴訟になりますか。
なりません。押さえた資料を精査した結果、請求を見送るという判断もあり得ます。逆に、資料が揃ったことで相手が争う姿勢を改め、交渉で解決することもあります。
まとめ
証拠が相手方の手元にしかない事案では、証拠保全が有効な選択肢になります。決め手になるのは保全の必要性を具体的に示せるかと、相手に準備の時間を与える前に動けるかの2点です。要件を満たさない場合でも、弁護士会照会や文書提出命令といった別の道があります。
そして、手元に何もないと思っていても、メッセージのやり取りや振込の記録が決め手になることは珍しくありません。証拠がないと自分で判断して諦める前に、一度整理してみてください。時間が経つほど、データも記憶も失われます。
証拠の集め方や、証拠保全を使うべきかの判断でお困りの際は、お早めにご相談ください。
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