適応障害で通院していた従業員に、会社が退職を繰り返し勧めた。本人は「辞めるつもりはない」と伝えたが、勧奨は続き、配置と役職も変えられた。その後、病状はうつ病に移行します。東京地裁は2026年3月10日、退職勧奨による強い心理的負荷で病状が悪化したとして、悪化部分を労災と認め、休業補償給付を支給しないとした労基署長の処分を取り消しました(東京地裁令和8年3月10日判決・国・渋谷労基署長事件)。訴訟の当事者は国ですが、会社の退職勧奨のやり方が労災認定を左右した事案として、使用者側こそ知っておくべき判決です。

1. 事案の概要

労働者は2019年6月に適応障害を発症し、2020年3月末ごろにはうつ病の状態になりました。本人は、会社による執拗な退職勧奨や、配置・役職の変更による孤立が原因だとして、渋谷労働基準監督署長に休業補償給付を請求します(労働者災害補償保険法)。しかし署長は業務起因性を否定して不支給とし、審査請求・再審査請求も棄却されたため、国を相手に処分の取消しを求めました。

労働者の主張は二段構えでした。

  • 主位的主張:適応障害は2019年8月にいったん症状が安定しており、その後の退職勧奨によってうつ病を新たに発病した
  • 予備的主張:仮に安定していなかったとしても、退職勧奨による強い心理的負荷で適応障害が自然経過を超えて著しく悪化し、うつ病に移行した

2. 「新たな発病」は否定、「悪化」は労災と認定

裁判所は主位的主張を退けました。2019年8月26日の面談の時点でも、焦燥感や気分の落ち込み・浮き沈みといった症状が残り、短期的に改善傾向があっても変動していたため、症状が安定していたとも、すぐに通常の就労ができる状態だったとも認められない、という理由です。

しかし予備的主張は認められました。裁判所は会社の退職勧奨について、次のように認定しています。

  • 労働者が退職の意思がないことを明確に示した後も、威圧的かつ執拗な方法で繰り返された
  • 強要の程度は、労働者の自由な意思を抑圧するに足りるものだった
  • 職場の人間関係から切り離されていた
  • 左遷とも評すべき配置と役職の変更を伴っていた

これらから心理的負荷の強度は「強」と判断され、適応障害はこの負荷によって自然経過を超えて著しく悪化し、うつ病に移行したと精神医学的に判断されました。悪化した部分に業務起因性があるので、これを否定した不支給処分は違法、という結論です。

3. すでに病気の従業員でも「悪化」は労災になる

会社側が見落としやすいのは、業務と無関係に発症していた精神疾患であっても、その後の業務上の出来事で悪化すれば、悪化部分が労災になりうるという点です。

厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準」は2023年9月に改正され、発病後の悪化について、特別な出来事がなくても、業務による強い心理的負荷で自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に判断される場合には、悪化部分の業務起因性を認めることになりました。本判決はこの考え方に沿って判断したものと読めます。「もともと病気だったから会社の責任ではない」という理屈は、すでに通用しにくくなっています。

また、退職勧奨は認定基準上も心理的負荷の出来事として扱われ、本人が拒否しているのに執拗に続ける、威圧的に行うといった態様は、負荷の強度を「強」に押し上げる要素になります。

4. 労災認定が会社に与える影響

労災保険の給付は国が支払うため、「会社には関係ない」と受け止められがちです。しかし実際には、会社に次の影響が及びます。

  • 民事の損害賠償請求 労災認定は、会社に対する安全配慮義務違反・不法行為の損害賠償請求で、因果関係を裏付ける有力な材料になります。退職勧奨そのものも、社会通念上相当な範囲を超えれば違法とされます(下関商業高校事件・最高裁昭和55年7月10日判決)
  • 解雇の制限 業務上の疾病で休業する期間とその後30日間は、原則として解雇できません(労働基準法19条)
  • 会社は労災認定そのものを争えない 最高裁令和6年7月4日判決は、事業主には労災保険給付の支給決定の取消しを求める原告適格がないと判断しました。認定の当否は、会社が知らないところで決まっていきます

5. 会社側が取るべき実務対応

  1. 「辞めない」と言われたら、勧奨はいったん止める 明確な拒否の後も繰り返すことが、本件で「強」と評価された最大の要因です。条件を見直して再提案する場合も、回数・時間・同席者を限定します。
  2. 勧奨と配置転換を結びつけない 退職を断った直後の降格・孤立させる配置は、勧奨の圧力と一体として評価されます。人事異動には業務上の必要性を説明できる記録を残してください。
  3. 通院中の従業員には、主治医・産業医の意見を先に聞く 既往症がある場合、面談そのものが悪化の原因とされかねません。面談の可否や方法を医師に確認してから進めます。
  4. 面談は記録し、発言を管理する 威圧的と受け取られる言い回しを避け、面談の日時・内容を記録します。録音されている前提で臨むべきです。

まとめ

本判決は、適応障害を発症していた労働者について、退職の意思がないと明示された後も続いた威圧的・執拗な退職勧奨と、孤立・左遷的な配置変更による強い心理的負荷で病状がうつ病へ悪化したとして、悪化部分を労災と認めました。

退職勧奨は、進め方を誤ると労災認定と損害賠償という二重のリスクになります。当事務所では会社側の立場で、退職勧奨の進め方の設計から、面談の同席、紛争化した後の対応までご相談を受けています。

【監修】

米玉利大樹
米玉利大樹代表弁護士
年間数百件の法律相談を受け、年間100件以上の法律問題を解決しています。
「より良い解決」「迅速な解決」を大事にしており、個々の事案に適したスピーディな進行・解決を心がけています。
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