試用期間中の従業員を解雇した。裁判では解雇は有効とされた。それでも会社は、元従業員にお金を払うよう命じられました。東京地裁の令和8年3月17日判決(スキルエンジン事件)です。支払を命じられたのは、同意のないまま行った基本給の減額分と、未払の残業代、それと同額の付加金でした。解雇という大きな争点で勝っても、日々の賃金管理の甘さで負ける。中小企業で起こりやすい典型例です。
1. 事案の概要
元従業員は会社と労働契約を結び、試用期間中に働いていました。契約書では、試用期間中の基本給は月額25万円とされていました。ところが会社は、2024年1月分から基本給を月額20万7,000円に引き下げています。
会社は元従業員の能力が求める水準に達していないとして指導を重ね、試用期間を延長しましたが、延長後の1か月でも改善は見られませんでした。そこで会社は試用期間中に契約を打ち切ります(留保解約権の行使)。元従業員はこれを無効な解雇だとして、地位確認と解雇後の賃金、減額分の差額、残業代と付加金を請求しました。
2. 地位確認は「却下」——本人が働く意思を失っていた
この判決で目を引くのは、地位確認の請求が「棄却」ではなく「却下」された点です。元従業員は、2025年3月1日以降は会社で働く意思を失っていることを自ら認めていました。職場に戻るつもりがない以上、労働契約上の地位を確認する利益がない、というのが裁判所の理屈です。
もっとも、解雇から2025年2月28日までの賃金請求は残ります。働いていない期間の賃金は、会社の責めに帰すべき事由で働けなかった場合に請求できます(民法536条2項)。そのため裁判所は、この期間の賃金を判断する前提として、解雇が有効かどうかを審理しました。
会社側から見ると、解雇を争う労働者が訴訟の途中で転職するなどして就労の意思を失えば、その時点以降の賃金(いわゆるバックペイ)は積み上がらないことになります。本人尋問や陳述書で就労意思がどう語られるかは、会社側が必ず確認すべきポイントです。
3. 試用期間中の解雇は有効
試用期間中の解約は、通常の解雇より広い範囲で認められますが、自由にできるわけではありません。解約権を留保した趣旨・目的に照らして、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当と認められる場合に限られます(三菱樹脂事件・最高裁昭和48年12月12日判決以来の枠組み)。
本件では、次の経過が重視されました。
- 2023年12月末の時点で、会社が求める水準に達していなかった
- その点について会社から指導を受けていた
- 改善を期待して試用期間を延長したが、延長後の1か月でも改善がなかった
指導し、猶予を与え、それでも改善しなかったという段階を踏んでいたことが、有効判断の決め手です。解雇が有効とされた結果、解雇後の賃金請求は棄却されました。
4. 会社が負けた部分——基本給の減額と残業代
基本給の減額は無効とされました。契約書に25万円と書いてある以上、会社が一方的に20万7,000円へ下げることはできません。裁判所は、元従業員が自由な意思に基づいて減額に同意したとは認められないとして、2024年1月分と2月分の差額の支払を命じています。
賃金の減額に対する労働者の同意は、単に異議を述べなかった、あるいは減額後の給与を受け取っていたというだけでは足りません。減額の理由や不利益の程度について十分な説明を受け、自由な意思で同意したと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するかどうかが問われます(山梨県民信用組合事件・最高裁平成28年2月19日判決)。能力不足を理由に試用期間中の給与を下げたくなる場面はありますが、書面による明確な合意がなければ、後から差額を請求されます。
残業代も一部認められ、10万4,305円などの支払が命じられました。さらに、会社が労働基準法37条の割増賃金を払わなかったことに合理的な理由はないとして、同額の付加金(労働基準法114条)の支払も命じられています。付加金は、未払額と同額を上限に裁判所が支払を命じるもので、実質的に支払額が倍になります。
5. 会社側が取るべき実務対応
- 試用期間中の指導は記録に残す 求める水準、足りない点、改善期限を書面やメールで伝えます。本件で解雇が有効になったのは、この積み重ねがあったからです。
- 試用期間の延長は根拠と目的を明確にする 就業規則に延長の定めを置き、「何を改善すれば本採用とするか」を本人に示してから延長します。
- 給与を下げるなら必ず書面で合意を取る 減額の理由・金額・期間を説明し、同意書に署名をもらいます。説明の経過も残してください。一方的な減額は、解雇の有効・無効と関係なく差額の支払義務が残ります。
- 試用期間中でも残業代は発生する 労働時間の把握と割増賃金の支払は本採用後と同じです。未払が裁判になれば付加金が上乗せされます。
まとめ
本判決は、指導と試用期間の延長を経た試用期間中の解雇を有効とし、働く意思を失った元従業員の地位確認を却下しました。その一方で、同意のない基本給の減額と未払の残業代については、付加金まで含めて会社に支払を命じています。
解雇の可否だけを見て方針を決めると、賃金・残業代の請求で思わぬ支払が残ります。当事務所では会社側の立場で、試用期間中の対応から解雇、訴訟対応まで一貫してご相談を受けています。
【監修】

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