年俸2,500万円で迎えた中途採用の管理職が、在職中に会社へ無断で競合会社の取締役に就任し、勤務時間中に取引先へ「契約をそちらの会社に切り替えませんか」とメールを送っていた。会社はこの従業員を普通解雇しました。東京地裁は2026年4月22日、この解雇を有効と判断しました(東京地裁令和8年4月22日判決・ドリームインキュベータ事件)。一方で、会社が主張していた退職後の競業避止義務違反による損害賠償債務は「存在しない」と確認されています。在職中と退職後で結論が分かれた点に、会社側が押さえておくべき実務のポイントがあります。
1. 事案の概要
会社はベンチャー投資や経営コンサルティングを手がける企業です。従業員は2023年8月に即戦力の中途採用として入社し、7段階のうち上から3番目の管理職(ディレクター)、年俸2,500万円という待遇でした。ところが試用期間中から職位に見合わない言動があり、会社は業務改善要望書や厳重注意書を交付したうえ、試用期間を2度延長していました(合計10か月)。
その試用期間中から本採用の直後にかけて、次のような行為が判明します。
- 会社の許可なく、競合会社(P11社)の取締役に就任した
- 勤務時間中と申告した時間帯に、会社の取引先へP11社への契約切り替えを提案するメールを3通送った
- そのメールには、会社が100万円以上かけて外部に制作させたパワーポイントの雛形を無断流用した会社紹介資料を添付していた
- P11社の所属としてセミナーに登壇する予定を組み、ネット上で告知させていた
会社のヒアリングに対し、従業員はP11社のための営業活動自体を否定し、取締役就任は「手続上の誤り」だと説明しました。会社は普通解雇に踏み切り、取引先にも「就業規則違反により解雇した」と報告しています。従業員は解雇無効による地位確認と賃金、退職後の競業避止義務に基づく損害賠償債務の不存在確認、取引先への告知による名誉毀損・プライバシー侵害の慰謝料などを求めて提訴しました。
2. 裁判所の判断——解雇は有効
解雇が有効となるには、客観的に合理的な理由と、社会通念上の相当性が必要です(労働契約法16条)。
裁判所はまず、就業規則が定める①許可のない他社役員への就任の禁止(兼業の制限)、②在職中の競業避止義務、③職務専念義務に、従業員が違反したと認定しました。そのうえで、高位の管理職として好待遇を受けていた者がこうした行為をしたことは会社との信頼関係を破壊するもので、就業規則の普通解雇事由「与えられた職務又は職責を想定程度に果たすことができない場合」に当たる、として合理的理由を肯定しています。
相当性の判断で重視されたのは、次の事情です。
- 改善要望書・厳重注意書を受け、試用期間を2度延長されていたのに、その最中と本採用直後に違反行為を繰り返した
- ヒアリングで営業活動を否定し、取締役就任を手続ミスと虚偽の説明をしており、反省の態度がない
- 契約切り替えの提案は、会社の報酬を失わせる損害のおそれがある行為だった
裁判所は、一般従業員としての適格性すらなく、雇用を維持するだけの信頼関係もないと会社が判断して普通解雇を選んだのはやむを得ないとして、相当性も認めました。懲戒解雇ではなく普通解雇を選択していた点も、会社側の手堅い判断といえます。
3. 退職後の競業避止義務——損害賠償債務は「存在しない」
会社は解雇予告の際、「解雇日から1年間は競業行為を絶対にしないこと、特にP11社に関わる行為はしないこと」と求めていました。就業規則にも退職後1年間の競業避止条項があります。従業員は、この条項に基づく損害賠償債務がないことの確認を求めました。
会社は「債務不存在の確認を求めること自体、違反行為をしていることを意味する」と反論しましたが、裁判所は受け入れませんでした。会社はどの行為が退職後の競業避止条項に違反するのかを具体的に特定せず、具体的な損害の発生も主張していなかったためです。結果として、損害賠償債務の不存在が確認されています。
ここから読み取れるのは、在職中の義務違反と退職後の競業避止とでは、会社側に求められる立証がまったく違うということです。在職中の違反は解雇理由として十分に機能しました。しかし退職後の競業避止を根拠にお金を請求するには、違反行為の特定と損害の立証が欠かせません。誓約書や就業規則に条項を置いただけでは、請求の根拠として弱いのです。
4. 取引先への「解雇した」という報告は違法ではない
会社側が気にしやすいのが、取引先への説明です。本件では、競業行為の疑いについて取引先2社から情報提供を受け、調査結果の報告を求められた会社が、「就業規則違反により解雇した」と報告しました。
裁判所は、この報告は取引先から求められたやむを得ないもので、範囲も当該取引先に限られていたと認定しました。そのうえで、仮に解雇の情報が個人データに当たるとしても、会社の財産の保護のために必要で、本人の同意を得ることが困難な場合として第三者提供の制限の例外(個人情報保護法27条1項2号)に当たり、プライバシー侵害にならないと判断しています。名誉毀損についても正当行為として否定されました。
ただし、これは「取引先から求められ」「その取引先だけに」「事実を」伝えた事案です。業界関係者に広く知らせる、解雇理由を誇張して伝えるといった対応まで許されるわけではありません。
5. 会社側が取るべき実務対応
- 兼業・役員就任の許可制を就業規則に明記する 本件で解雇理由の柱になったのは、「許可なく他社の役員に就任しない」という具体的な規定でした。抽象的な誠実義務だけでは争いになりやすくなります。
- 証拠は客観資料で押さえる 送信メール、添付資料、登記簿(役員就任)、セミナー告知ページ、勤怠申告を保存します。本人が否定しても、これらが事実認定を支えます。
- ヒアリングの記録を残す 虚偽の説明をしたことは、相当性の判断で会社に有利に働きました。弁明の機会を与え、その内容を記録してください。
- 試用期間中の判断を先送りしない 本件では改善を求めつつ試用期間を延長し続けていました。本採用前に見極める基準を採用時に決めておけば、紛争の芽を早く摘めます。
- 退職後の競業避止で請求するなら、行為と損害を特定する 「違反しているはずだ」という主張では足りません。どの取引が奪われ、いくらの損害が出たのかを示せる準備が必要です。
まとめ
在職中に無断で競合会社の役員に就き、取引先の奪取まで図った管理職の普通解雇は有効とされました。取引先の求めに応じて解雇の事実を伝えたことも違法ではないとされています。他方、退職後の競業避止義務については、違反行為と損害を具体的に主張しなかったため、損害賠償債務は認められませんでした。
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