従業員が業務中にミスをして会社に損害が発生した場合、経営者として「損害を本人に負担させられないか」と考えることがあるかもしれません。しかし、法律上は従業員に対して無制限に損害賠償請求できるわけではなく、また給料から天引きして補填することにも厳しい制約があります。
この記事では、裁判例もふまえながら、従業員への損害賠償請求の可否や給与との相殺のルール、そして損害を適法に回収するための実務対応を整理して解説します。
従業員に損害賠償請求はできるのか?
従業員が会社に損害を与えた場合、民法上は「債務不履行」や「不法行為」として損害賠償請求が認められる余地があります。
ただし、裁判例では「報償責任の法理」や「使用者責任」の考え方から、従業員個人に全額の責任を負わせることは相当ではないとされ、損害の公平な分担の観点から大幅に減額されるケースが多いのが実情です。
一方で、横領や故意による不正行為のように、会社が責任を負うべきでないケースでは、全額の賠償を命じられることもあります。
実際の裁判例
リーディングケースとされるのが茨城石炭商事事件(最高裁昭和51年7月8日判決)です。従業員がタンクローリーの運転中に追突事故を起こし、会社が損害の賠償を求めた事案で、最高裁は「損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度」でのみ請求できるとし、会社の事業規模、保険加入の有無、従業員の労働条件や勤務態度などを考慮して、損害額の4分の1を限度に賠償義務を認めました。
このように、裁判所は一律に全額賠償を命じるのではなく、会社・従業員双方の事情を踏まえて妥当な範囲に減額する傾向にあります。
さらに近時は、福山通運事件(最高裁令和2年2月28日判決)で、業務中の事故で従業員が先に被害者へ賠償金を支払った場合、従業員から会社へ負担を求める「逆求償」も認められました。「会社は従業員を使って利益を上げている以上、損害も応分に負担すべきだ」という考え方は、いまや双方向で確立しているといえます。
損害賠償を契約で定められるのか?
「あらかじめ雇用契約で定めておけばよいのでは」と思う方もいるでしょう。しかし、労働基準法16条は「違約金や損害賠償予定の禁止」を定めており、一般的にそのような条項は無効となります。
ただし、留学費用や研修費用の返還をめぐっては、ケースによって有効とされた裁判例もあり、状況により判断が分かれるところです。
給料からの天引きはできるのか?
労働基準法24条には「賃金の全額払いの原則」があり、会社が一方的に損害額を給料から控除することは原則禁止されています。
これに違反すると、30万円以下の罰金が科される可能性もあります。
従業員の同意があれば相殺できる場合もありますが、判例(日新製鋼事件・最高裁平成2年11月26日判決)は、その同意が「労働者の自由な意思に基づくと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」場合に限って有効としています。ミスの直後に上司の面前で書かせた同意書などは、自由な意思によるものと認められないリスクが高く、実務上は極めて慎重な対応が求められます。
なお、労使協定を結べば購買代金や社宅費のような「事理明白なもの」を控除できますが(24条1項ただし書)、損害賠償金の天引きがこれで正当化されるわけではありません。また、就業規則に基づく「減給の制裁」も、1回の額が平均賃金1日分の半額以内、総額が一賃金支払期の賃金総額の10分の1以内という制限があります(労働基準法91条)。
天引きされた従業員はどう動くか――企業が知っておくべきリスク
「ミスをしたのだから天引きされても仕方ない」と考える従業員ばかりではありません。一方的な天引きは従業員側から見れば違法な賃金未払いであり、実際に次のような行動につながります。
- 労働基準監督署への申告──全額払い原則違反として是正勧告や指導の対象になり、悪質な場合は送検・罰金もあり得ます
- 未払賃金の請求──天引き分は未払賃金として、遅延損害金とともに請求されます(賃金請求権の時効は3年)
- 紛争の拡大──天引きへの不満をきっかけに、残業代請求や退職・SNSでの告発など、より大きな労務紛争へ発展するケースも少なくありません
「賠償してもらう権利があるかどうか」と「給料から勝手に引いてよいか」は別問題です。仮に賠償請求が正当でも、天引きという回収方法を選んだ時点で会社側が違法になる――ここが最大の落とし穴です。
損害を回収したい場合の適法な進め方
従業員のミスによる損害を回収したい場合は、次の手順を踏むのが安全です。
- 請求できる範囲を見極める──故意・重過失か、軽過失か。保険でカバーされる損害か。裁判になれば大幅減額があり得ることを前提に、現実的な請求額を設定する
- 本人と協議し、合意は書面化する──金額・分割方法を丁寧に協議し、自由な意思による合意であることが客観的に分かる形で残す。給料とは別に支払ってもらうのが原則
- 身元保証人への請求を検討する──身元保証契約があれば保証人に請求できる場合がありますが、2020年の民法改正後は極度額の定めがない個人保証は無効なので、契約書の確認が必要です
- 再発防止と保険でリスクを分散する──社用車の任意保険や各種賠償責任保険への加入、チェック体制の整備は、「会社が損害拡大を防ぐ措置を怠っていない」ことにもなり、賠償請求の場面でも有利に働きます
まとめ
- 従業員への損害賠償請求は可能だが、多くの場合は大幅に減額される(茨城石炭商事事件では4分の1)。
- 故意・横領など悪質なケースでは全額請求が認められることもある。
- 損害賠償を契約で予定することは原則禁止(労基法16条)。
- 給料からの天引きは原則禁止で、同意による相殺も「自由な意思」が客観的に認められる場合に限られる。
- 回収は「協議→書面合意→給料とは別に支払い」が原則ルート。
従業員のミスに直面した際、感情的に賠償を求めるのではなく、法的に許される範囲と従業員の生活保障とのバランスを理解したうえで対応することが重要です。万が一、対応に迷う場合は、労務に詳しい弁護士へ相談することをおすすめします。
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